長保年間-姉・定子の死
次に長保年間(999~1004)。
長保元年の末には、定子の皇子(敦康親王)誕生で、左遷の翌年に召還されていた伊周・隆家にも順風となる。
しかし同時期に道長は娘彰子を入内(女御)させ、定子皇后・彰子中宮(皇后とほぼ同格)二后冊立がなされた。
その後、長保2年(1000)、定子が皇女を出産するが死去。
定子の死は中関白家の暗雲を象徴した。
次に長保年間(999~1004)。
長保元年の末には、定子の皇子(敦康親王)誕生で、左遷の翌年に召還されていた伊周・隆家にも順風となる。
しかし同時期に道長は娘彰子を入内(女御)させ、定子皇后・彰子中宮(皇后とほぼ同格)二后冊立がなされた。
その後、長保2年(1000)、定子が皇女を出産するが死去。
定子の死は中関白家の暗雲を象徴した。