ハーブを使った料理や、トラディショナル・フルーツケーキなどイギリス式のクリスマス料理作りを楽しんだ。

一方でベニシアさんは少しずつ注目され始める。きっかけは、2002年に「NHK 私のアイデアガーデニングコンテスト」で特別賞を受賞したことだった。

「番組の生中継を見ていたら、『日本に昔からある植物を大事にしたい。村や町の風土、環境、歴史や文化に合わせた庭を造ることが大切じゃないか』と堂々と話していて。僕の心配をよそに、彼女は庭についての考えを語り、そこにいた誰よりも審査員の心をつかみました」。

その後、初の著書『ベニシアのハーブ便り』がベストセラーになり、エッセイ集やDVDなどが相次いで発売された。あまり知られていないことだが、ベニシアさんの書く英文を翻訳し、自然な日本語に直していたのは梶山さんだった。

しかし、「あちこちで『奥さんは有名人なのに、ダンナはただの人。たまに写真を撮ってるみたいだけど』なんて軽く扱われて(笑)。

面白くないもんだから、ベニシアに『あなたはイギリス貴族だから、みんなに慕われる。日本人だったら、仕事は来ないよ』なんて嫌みを言う始末。ベニシアは、『そんなことない! 私、頑張ってるんだから!』と本気で怒っていました。

うん、僕のひがみですよね。ベニシアは、ハーブ研究家として人一倍努力していたし、人々を引きつける力がありました。だけど、当時の僕は素直になれなかったんだなあ」。

さまざまな葛藤から逃れるように、梶山さんは山登りにのめり込む。「挙句の果てに、好きな人ができて家を飛び出しました。ベニシアは母親が4度離婚し、『いつ捨てられるかわからない』という不安な子ども時代を過ごしてきた人です。その生い立ちを知っているのに僕は裏切った。あのときの苦しみが、後の病気につながったのかもしれない」。

後編につづく