忘れもしない2001年の3月30日。兵庫県のアピカホールの楽屋に現れた母は、開口一番「雀ちゃん、久しぶり」と。「どんだけ軽いんや」とカチンときたけど、芸名でしか呼べないのかと思ったら憐れになりました。それにDNAというのはすごいもんで、話のテンポがそっくりなんですよ。そんなこんなで結局のところ、「育ててくれなくてありがとう!」とか言いながら今に至るまで仲ようやってます。
枝雀師匠が亡くなられてからというもの、「難波の爆笑王」と言われた桂枝雀の弟子として恥ずかしくない落語家でありたいと努めてきました。それが僕の使命であると、おこがましいことですが本気で思ってます。
芸はまだまだ師匠を超える域に達してませんが、2年前に師匠が他界された59歳という年齢のほうは超えました。これからは師匠に教わった一生モノの芸に磨きをかけていくと共に、師匠がやれなかったことを開拓していきたい。そのためにはどうしたらいいかと模索中です。
時折、寄席の客席に師匠がいるなと感じることがあって。心の中で「やりにくいから帰ってください」とか言うんですけど、見守られていると思えば心強い。頑張らなくてはいけませんね。
いつも「これからが本番」という心意気で
定年退職のない仕事とはいえ、やがて機関銃のように話すことはむずかしくなってくるやろうと思います。舞台の上で「あー、セリフ出えへん!」と焦ったり、やきもきたりしながら演るのでしょう。でもそれもまた持ち味に変えていきたい。お客さんに「次のセリフ何やった?」と投げかけたり、「セリフが出てこんのよ!」とぼやいたり。ボケてんのか、ボケたふりをしてるだけなのかというのが話題になるなんて現象にも憧れてます。いずれにせよ、いつも「これからが本番だ」という心意気で生きていたいですね。
大阪の新歌舞伎座で行われる「芸歴45周年記念公演 桂雀々独演会」の本番も近づいてきました。3月26日の演目は昼が「鶴満寺」、夜が「七度狐」、ゲストは昼夜とも立川志の輔さんです。3月27日の演目は昼が「さくらんぼ」、夜は「鷺とり」で、昼夜ともに明石家さんまさんをゲストにトークショーをやらせていただきます。ドカーンと華やかに50周年に向けての新たな幕開けを飾りたいと、このように思っている次第です。