でも「長生きするのも大変そうですが、それでも長生きしたいですか?」と聞かれたら、私は「じたばたしながらも長生きしたい」と答えます。

たくさんの精子の中からたったひとつが卵子に辿り着き、われわれの生命の元ができたわけです。ものすごい競争を勝ち抜き、人の形になったのですから、本当に運が強い。この世に生まれてきたというだけで、私たちは強運なのです。

しかも戦争をくぐり抜け、空襲に遭いながらも生き抜いてきたのですから。だったら、その強運に感謝してなるべく長く生き、この社会がどうなるのか、ぎりぎりまで見続けたい。

老いを生きるというのは、寂しさや不安、不自由と折り合うということだと思います。「助けて~」といくら叫んでも、誰も「私」の老いを止めることはできません。それでも私は、生きていることが面白くて仕方ありません。

強がりではありません。本気でそう思っています。なぜなら、日々、初めての経験に遭遇するからです。往年の態度も背丈も、昔より小さくなってきました。これがいまの「身の丈」なのでしょう。

初めての体験続きで、「おやおや、こんなことが起きるのか」という驚きと嘆きと興味がない交ぜになります。黒井さんはその観察眼で、これからも《老いの実相》を書き続けてください。楽しみにしています。

私たちはこの5月で、93歳になりました。小学校の同期がこうして生き残り、なにかしら発信を続けていられるというのは、一種の奇跡のようなもの。このご縁を心から感謝していますし、細い糸かもしれませんが、この糸を放したくないと願っています。

黒井さんのおっしゃる通り、時には弱音を吐くことを自分に許しつつ、お互い無理をせず、もう少しがんばりましょう。

 

2025年5月
樋口恵子

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「《第四信》黒井さんから樋口さんへ」につづく