女性は父方の影響を強く受けた
夫婦別姓が議論される時、「かつての日本では夫婦別姓が当たり前だった。だから女性の地位が高かった」と言われることがあります。しかしここで注意したいのは、基本的に近代以前の史料では女性の「本当の名前」はほとんど記録が残っていないということです。
たとえば夫婦別姓の例としてよく挙げられる、北条政子。小説やドラマでも「政子」と呼ばれますが、彼女にこの名前がついたのは数え年で62歳になった時。京にのぼって朝廷から位を与えられる際に公文書に記す名前が必要になったので、父親の時政から一字をもらってつけました。ちなみに、それ以前の名前はわかっていません。
さらに、公文書に記された姓は「平」で、これは本姓といって北条家が属する血縁集団を示すもの。これが政子の夫の頼朝の場合は、「源」だったのです。
では「北条」とは何かといえば、これは名字です。平や源といった同姓の集団の中で、武士などが自分の本拠地や役職名をもとに名乗るようになったもの。政子の弟の北条義時も、当初は住まいのあった「江間」を名乗り、家督を継いでから「北条」になりました。
女性の呼び名には父方の影響が強く、たとえば紫式部の「式部」は父・藤原為時の官職からとったとされます。政子の場合も「北条の娘」という意味で、のちの時代になって北条政子という呼び名が生まれたのです。
父方の影響が強かった時代は、たとえば結婚する時に実家から娘へそれなりの財産や土地が与えられるといった、女性にとっていい面も。しかしその反面、実家の勢力拡大や親族の出世のために望まぬ結婚、あるいは離婚を強いられることも多々ありました。
「かつての日本では夫婦別姓だった」ことは事実ですが、それを「女性の地位が高かった」ことと結びつけるには、まだ議論の余地があるといえるでしょう。
