こうしていつしか一つのスタイルが生まれていました。
ぱっと見にはあっさりとして地味。けれどよく眺めてみれば、特別丹念な手で織られた紬に、しゃれた、ありきたりではない帯を締めている――そのようなスタイル、それまでの銀座には存在しなかった新しいスタイルを先代は生み出していきました。
やがていつからか《むら田調》と呼ばれるようになったそのスタイルは、銀座だけではなく東京の他のどの街にも、京都にも、日本のどこにもないスタイルだったのだと思います。
私はたまたまその中に飛び込んで無我夢中で吸収し、そして91歳になった今も《むら田調》を守り続けている。いえ、もうそのスタイルが私自身そのものになっているのでしょう。
一方で、先代は、染めの新作きものに取り組む時には大胆でモダンな一面を発揮しました。たとえばピカソの絵の道化師が着た衣装の模様をきものにふさわしい配色に変えた付下(つけさげ)。訪問着の裾模様にした伝統の遠山(とおやま)模様も、先代の手にかかると色や技法の用い方の妙によって、どこか現代美術の抽象画のようにも見えました。
このような大胆な染めと、シックな《むら田調》と。一人の人間がこれほど多面的な創作を行うことに私は目を見張りましたが、けれど、奥深いところでは、洒脱(しゃだつ)な美意識を響かせ合っていた――。そのように思ったりもします。
※本稿は、『九十一歳、銀座きもの語り』(村田あき子・西端真矢:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
『九十一歳、銀座きもの語り』(語り:村田あき子/構成・文:西端真矢/KADOKAWA)
91歳、銀座の小さな老舗呉服店の女店主の、きものと生きた日々。
創業200年。銀座の呉服屋で、きものの仕事に携わり70年、店主となって30年。90歳を過ぎても毎日、きもので店に立ち続けた。きものとともに生きた日々を語る。





