幼き日の自分を慰めたくなる
ラケットを振りながら、時々考える。
子供時代は運動が苦手なことを「運動音痴」という一言で認識していたが、筋力の低さのほうが大きな原因だったのではないか。スポーツが嫌いだと思っていたが、誰にも笑われず、他人と比べられない環境であれば、十分楽しめるポテンシャルがあったのではないか。
そうして子供の頃にちゃんと運動ができれば、ある程度筋肉がついて、もっと健康な大人になれたのではないか。そしたら今頃こんなに筋トレに励む必要もなかったのではないか。
子供のうちに運動をしなかったことを、後悔していると言えばしているが、あんな環境では運動なんかできなくて当然だと、幼き日の自分を慰めたくもなる。
日常的に身体を動かし、スポーツを時には楽しめるようになった今でも、体育というものを呪わずにはいられない。
※本稿は、『虚弱に生きる』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
『虚弱に生きる』
(著:絶対に終電を逃さない女/扶桑社)
病気じゃないけど、体力がない。労働する元気も恋愛する元気もない――。
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「虚弱体質」のリアルをつづる、新世代のサバイバル・エッセイ!




