外科医だった17年間

外科医だった17年間で僕は、外科治療のかたわら「死ぬときはできるだけつらくないように」を実践してきました。

今では「緩和ケア」という言葉も一般的ですが、その当時はまだそんな言葉もありませんでした。

もちろん僕も緩和ケアを正式に学んだわけではなく、今行っている「緩和ケア」は誰からも教わらない、ほぼオリジナルです。

17年勤務した後、僕は病院を辞める決心をしました。仕事は楽しかったのですが、外科医のピークは40代です。先輩方を見ていても、50歳代後半になると、目も悪くなるし、手術も下手になる人が多かった。

僕は、50歳になったら「外科のナンバーワンになろう」と思っていました。私にとってのナンバーワンということは「大きな病院の外科部長」です。

ところが、そのポジションがだんだんつまらなく思えてきたのです。

 

棺桶まで歩こう』(著:萬田緑平/幻冬舎)