ロフタス博士の警鐘──過去の苦しみを掘り起こすな

エリザベス・ロフタスという有名な米国の認知心理学者がいます。

人の記憶の変化や虚偽記憶が作られる仕組みの研究で知られていますが、過去のトラウマに関しても多くの実験を行い、抑圧された記憶や回復された記憶の「信頼性」に強い疑問を投げかけました。

(写真提供:Photo AC)

簡単にいうと、無理に過去の苦しみを思い出させることは、むしろ虚偽の記憶を生み出したり、精神状態を悪化させたりするリスクがあるというのです。

かつては、嫌な記憶と正面から向き合うことで心が癒えると信じられていましたが、実際には嫌なことを思い返せば思い返すほど、精神状態が悪くなってしまうわけです。

実際に、過去を思い出させる治療を受けた患者さんには、自殺念慮やうつ症状の悪化、さらに離婚など家族関係が悪化する傾向が多数報告されています。

そのため、現在の精神医療では、過去を掘り返すのではなく、「今」の感情や苦しみに寄り添いながら支えていく治療が主流になっています。

私も、辛い思いを抱える患者さんに対しては過去を掘り起こして原因を究明するのではなく、「今、何か辛いことがありますか?」とか「現在の人間関係で、何か嫌なことがあるのですか?」などと聞いて、「今どうするか」を考えてもらうようにしています。

そして、もし患者さんが過去の出来事を話し始めたら、このように言います。

「昔の嫌なことを思い返すと、心の状態が悪くなることはたくさんの研究で確かめられています。あなたが辛くなってしまうと私も辛いので、この話はもうお終いにして、今起きている問題を一緒に考えましょうか」

過去ではなく、「今」の感情に寄り添うほうが心を回復させるからです。

もちろん、親や元配偶者への怒りや恨みを「気にするな」と言っても簡単に手放せるものではないかもしれません。恨みや怒りを抱えている人に、ただ「忘れなさい」というのは無理な話です。