「ねえ、霧さん。私の友達がこんな本を書いたの。私は母であることを捨てた獣なのだって」
 この小説では女はどこへたどり着いたのだろう。読めばわかるのだろうが、確かめるつもりはなかった。
「蘭のことだから、きっと容赦がない。私はとてつもなく嫌な女になってると思う。霧さんのことだって、ろくでもない最低のクズみたいに書かれてるかもしれない。だから読まない」
 本の裏を返す。帯には小さな文字で内容が紹介されていた。
 続く小さな文字で「介護と引きこもりの娘の世話で疲れ果てた由子は、ある日、孤独な染色職人の桐郎と出会う。父と娘の反対を押し切り、情欲の世界に溺れていく二人はいつしか道を踏み外して――」
 思わず笑ってしまった。霧と私のなにを知っているというのだろう。どうせ、でまかせのでっち上げ。男女の愛欲を赤裸々に描いた、という体を装い、読者と評論家に上手に受けるように仕上げただけの本だ。こんなもので動揺なんかしない。私は平気だ。
「なにも知らないくせに。私と霧さんのこと、なにもわかってないくせに」
 ただの強がり、もしくはくだらない優越感だと自分でもわかっている。でも、言わずにはいられない。私にだってわからないことが、他の誰かにわかるはずがない。
「霧さん、私たち、情欲に溺れて道を踏み外すんだって。一体なにをするんでしょう。人でも殺して逃避行?」
 霧が困ったように笑う顔が浮かんだ。胸が温まるのと痛むのとが同時にやってくる。私はその霧の表情が薄れないように何度も何度も心の中で上書きをした。
 

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