なぜ標準治療を選んだか
先生から「がんです」と告知された日の夜。
実は、何年かぶりにぐっすり眠ることができた。自分でも不思議だった。
でも、心の奥底できっと「これで休める」と思ったのかもしれない。長年続けてきた芸能生活からいったん離れて、新しく自分の道を進み始める、これが私にとって本当のミッションの始まりなんだ、そう気づいたんだと思う。
私の父親、梅宮辰夫は81歳で亡くなっている。
晩年に前立腺がんと尿管がんを発症して、おまけに慢性腎不全にもなって、週に数回の人工透析もしていた。そばで見ていても本当に苦しそうで、ママも介護に疲れ切っていたし、本人も安楽死を望んでいた。
パパの死は、私にとって生きる糧を失ったようなものだった。同時に老いていく親を見て「81歳までは絶対に生きていたくない」とも思っていた。
私は自分の人生を70歳までで終わらせたかった。
80過ぎのママはタクシーもろくに呼べないけど、私だって同じくらいの年齢になったら、その時代のスマホアプリなんて使えなくなっているはずだ。そんなおばあさんになってまで長生きしたくない。若い人のお荷物になってまで生きていたくない。普段からそう思っていたし、友人にも言っていたくらいだった。
そんなときに、がんになった。
告知された瞬間、自分でもビックリだけど、早く死にたいとは思わなくなった。
私にはやることがいっぱいある。やっと生きがいが見つかった気がした。
本音を言うと、芸能界は私の身の丈に合っていなかった。毎日が楽しくなかったし、毎日がすごく空虚だった。人がやっていないこと、自分にしかできないことは何なのか。それを見つけるために必死にもがいていた。
でも、今なら胸を張って言える。
がん闘病の経験を、世の中の人、後に続く人たちに残すこと。そのために記録することが、私の役割だって。
パパの死を見届け、今度は私ががんになった。生と死の問題に直面したことで、自分のこれまでの価値観が集大成されたような感じだ。
「がんは、あなたにとって必要な経験ですよ」
そう言われているような気がする。
そのためにも生き抜かなきゃいけない。
だからこそ、私は、最初から標準治療の一択だった。