いしいしんじさんの回答

思いもよらずいなくなったから、かけがえのなさがいっそう深くにじむ。東北の多くのひとは、遠のいていったひとたちの声を、いまもたいせつに、耳の奥にひびかせている。

この世にいないことと、相手を身近に感じることは矛盾しない。ぼく自身、この世から旅立った人のいまも変わらぬ声に、日々ひんぱんに耳をかたむける。高校時代の親友、かよいつめたお茶の先生、宇宙一の魚屋の主人。

『人生不案内』(著:いしいしんじ/新潮社)

10年経ったいまも、きっと彼のなかで母は、台所に立ち、庭に水をまき、ふりむいて笑う母の姿だ。折にふれ、楽しかったこと、驚いたことなど打ちあける。知りあった娘のことも、胸のうちで報告しているだろう。

もしぼくが彼なら、じぶんの母のことを、好きになった相手の母に知ってもらいたい。どんなひとだったか。どんな声だったか。

それらについて彼がゆっくりと話すとき、彼の声は輝き、その淡い光のもと、彼の母の輪郭は、この世から離れた場所で、じわじわと際だってゆく。

自然に、そのときがくれば耳を傾ければよい。その声はあなたの内にも深く響く。あらたないのちの照応が、かけがえのない、あなたがたの間でなされる。