(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第53回は俳優・映画監督の竹中直人さん。(撮影:岡本隆史)

前編よりつづく

転機だらけの日々

多摩美術大学(多摩美)で、のちに演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」をともに結成することになる宮沢章夫氏と出会う。これも転機?

――はい。転機だらけです。宮沢とは多摩美で一緒でしたからね。多摩美の芸術祭に向けて8ミリ映画を宮沢と4本作りました。その8ミリ映画作りをきっかけに役者の世界に憧れを抱くようになりました。

多摩美を卒業したら演劇の道に進むと決めていました。多摩美の2年生の頃から新劇を目指して、文学座、俳優座、それ以外にも赤テント、黒テント。特に自由劇場や東京ヴォードヴィルショー、東京乾電池のお芝居をよく観に行っていました。憧れの劇団でした。

青年座は洋物をやらないというのも魅力的でしたね。日本人が「オフィーリア!」なんて言うのにかなりの抵抗がありましたからね。

それで多摩美卒業後に、劇団青年座を受けたらなんと受かってしまった。でも1年間の授業料が、なんと30万円! これは絶対払えないと思っていたら、3分間で人を笑わせたら賞金30万円! というとんでもないイベントが当時のカルト雑誌『ビックリハウス』の企画であったんです。『ビックリハウス』の編集長だった高橋章子さんのお勧めもあり、それに出ました。

審査員が大島渚さんとか、ビートたけしさん。僕はそこで「笑いながら怒る人」、遠藤周作、松本清張、芥川龍之介、ブルース・リー、松田優作の顔真似をしました。

渋谷のパルコ劇場でしたね。そして、まさかの優勝! 賞金30万円をゲットしてしまったんです。