熱心な家族のニオイ
ASDでは、一般的に強いこだわりやコミュニケーションの困難が目立つ。上原さんの場合は生活で嫌なことがあるとそれに固執し、精神が不安定になってしまうようだ。最近では、目玉焼きを焦がしたことを気にしすぎて、1日うつ状態になり、作業所を休んだ。また聴覚過敏(1)があり、周囲の音に動揺し、パニックを起こすこともある。
一方でふだんは穏やかで、興奮して暴言や暴力が出ることは一切ない。母親にも従順な様子だ。作業所では淡々と業務をし、利用者同士のトラブルもないという。静かに椅子に腰かけ、心配そうにこちらをうかがっている様子からもそのことがわかる。
異様だったのは、紹介状の中に複数の医療機関からのものが含まれていた点だ。確認すると、これまでに10軒近いクリニックを受診しており、いわゆるドクターショッピング(2)が繰り返されていた。2、3軒の通院先変更はよく見るが、ここまで頻繁に変える人は珍しい。どの紹介状もおおむね同じ内容が記載してあり、「病状は比較的安定している」との意見が並んでいた。
紹介状には母親に対してもコメントが添えられてある。
〔母親は本人の援助についてたいへん熱心です〕
〔このたびお母さまの強いご要望により貴院に紹介させていただきました〕
この「熱心な家族」「(ご家族の)強いご要望」というワードはクセモノだ。医師仲間にだけ伝わる隠語で、「面倒くさく厄介」「自己主張が強く扱いづらい」という意味なのだ。紹介状の内容はカルテに反映される。カルテにそのまま書けない内実を巧みに覆い隠しながら記載しているわけだ。
私が紹介状を読んでいる途中、待ち切れないとばかり母親が口を開いた。「先生! この子は一人では生きていけません。私も持病のリウマチがひどくて、今後ずっとこの子を見ていくことはできないんです。この病院にグループホームがあると聞きました。そちらへ入所させます」
母親の言うとおり、三王子病院を管轄する医療法人には精神疾患患者が利用できるグループホーム(3)がある。病状が安定していて、退院できる状態にもかかわらず、家族の受け入れが難しかったり、退院先がない場合に入所の検討が行なわれる。ただ部屋には限りがあり、すでに満室で待機者も多い。そもそも入所を検討するのは医療者側だ。それをいきなり「入所させます」と言ってくる母親からは“熱心な家族”のニオイが漂う。
(1) 多くの人が気にしないような音に対して、過剰に反応してしまう状態。秒針の音や遠くのクラクションなどでも強い不快感や混乱、ストレスを感じることがある。ASDでは、聴覚に限らず触覚や味覚などの感覚過敏が見られる場合も。友人医師は「子どもが歯医者のドリル音に反応しパニックになるため、虫歯の治療ができない」と嘆いていた。
(2) 同じ症状について、複数の医療機関を受診し続ける行為。「前の医者はひどくて…」と愚痴を吐きまくる患者も、「先生みたいに優しいお医者さん初めて」と過度におべっかを使う患者も、同じくらい警戒する。
(3) 精神障害者が、専門スタッフの支援を受けながら5〜9人の少人数で共同生活を送る福祉施設。家事などを分担しながら自立した生活を維持することで症状を穏やかにすることを目的とする。
