家庭は不可侵の領域

印刷して外来看護師に手渡し、診察室を出ようとしたとき、母親だけが戻ってきた。

「やっぱりさっきのあなたの対応に納得がいきません! 遠くからせっかく来たのにちゃんと診もしないで、ほかの病院に行けだなんて。それじゃあ、ここに来た意味がないじゃないですか。交通費返してほしいくらいだわ」

鬼の形相だが、相手が感情を見せれば見せるほど、冷静になれるのが精神科医だ。「どうぞ」と席に座るように促すが、母親は立ったまま話し続ける。

「あなたは困っている患者に手を差し伸べようと思わないんですか? そんな人に精神科医の資格なんてないですよ!」

診察中にうんざりして「紹介状を出します」とあっさり対応したのは事実だ。だが、そもそも「紹介状を書いてくれ」と言ったのは母親である。こちらもやや皮肉を交えて対応する。

「せっかく紹介状を用意したのに、S病院が閉まってしまいますよ」

「こんな病院には二度と来ません。駒木先生ですね。名前覚えましたから」

そう捨てゼリフを残して退室。診察室が静まり返る。

その後、母親は受付に立ち寄り、大声で事務へのクレームを残し、タクシーで久美さんとS病院に向かったという。

短時間、接しただけでも、母親にも強いこだわりや融通がきかないといった発達障害の傾向があることがわかる。自分の思いどおりにいかないと癇癪を起こしてしまうのだろう。冷静になってみれば、母親の生きづらさに同情する部分もある。ただ、私も聖人君子ではないので一定の信頼関係を結べない相手は断らざるをえない。

それにしても、一番気の毒なのは久美さんだ。一緒に暮らす家族が感情的になりやすいと患者の症状も影響を受ける。批判的な感情表出が多い家族をhigh EE(Expressed Emotion)と呼ぶ。ASDのように変化に弱い人とhigh EEの家族は最悪の組み合わせだ。

とはいえ、精神科医にとって家庭は不可侵の領域だ。久美さんにとって自宅が“安心できない場所”になっていないか、それが何より心配である。

※本稿は、『精神科医おどおど日記――閉鎖病棟24時、本日当直、あらゆる精神疾患寝ずに診ます』(発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)の一部を再編集したものです。

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精神科医おどおど日記——閉鎖病棟24時、本日当直、あらゆる精神疾患寝ずに診ます』(著:駒木爽/発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)

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