意思疎通ができない母親

「まず、グループホームの利用には条件があります。たとえば、1年以上の長期入院歴がある方などが対象です。久美さんの場合、最近入院歴もないんですよね?」

「じゃあ、今日から入院させてください。この子はふつうの人と同じように働けないんですよ」

問いと答えが噛み合っていない。話を聞いていくと、母親はASDを抱える久美さんに能力以上の働きを期待しているようだった。そして、自分の期待どおりにならない娘に苛立っている。

久美さんが一般的な就労をこなすのは難しそうだが、家庭で静かに生活できており、作業所にも安定して通所している。現時点で入院の必要はなさそうだ。

「先生! あなたはこの子のこと何も知らないでしょう? 一番理解しているのは私です。だから、私の話を信じてください」

私の発言はことごとく遮られ、意思疎通ができない。母親の言葉を聞くたびに自分の体温が下がっていく(4)のを感じる。

「もちろん、ご家族のお話も……」

「母親は子どものことを一番理解しています。私の言うことを信じてくれない先生ばかりで、だから病院を変えてきたんです!」

当事者なのに母親の隣で縮こまっている久美さん本人に聞いてみる。

「久美さんはどう思いますか? お母さんとの暮らしで困っていることはありますか?」

久美さんはおどおどと母親の顔をうかがいつつ、口を開いた。

「私はふつうに働いたりできないから、施設じゃないといけないってお母さんは言います。私は家が好きなので、あまり入院はしたくないんですけど……」

母親は久美さんを凝視している。その視線を気にしてか、彼女は今にも泣き出しそうな顔で「でもお母さんが言うなら、そうしたほうがいいです」と答えた。

久美さん自身が入院を希望しているわけではないし、医学的に見ても入院が必要な状態ではない。私はそう結論した。

「今日は『はじめまして』ですし、通院を続けながら、一緒に困りごとに対応していきませんか?」

言った瞬間、母親の顔がこわばった。

(4) 精神科医も人間である以上、患者に拒絶感を抱くこともある。最近もある若い女性患者に「私のことを全然わかろうとしてくれないから主治医を変えて」としつこく要求された。嫌悪感というより、徒労感に近い感覚になる。