父のために娘3人で布代を捻出
それにしても、なぜそこまで打ち込めるのだろうか。
「家系ですわ。僕の親父は、日本で初めてテレビを組み立て、天皇陛下に表彰されたんです。一つのことを極めるまでやる。ところが極めたら熱が冷めて、『もう、ええわ』(笑)。僕もその血を引いてるんです」
勝さんは1937年、7人きょうだいの長男として三重県に生まれた。高校の電気科を卒業後、家業のラジオ店を継いで親きょうだいを支え、31歳の時に陽子さんと結婚。三女一男をもうける。
当時から職人としての腕はピカイチだったが、父親譲りの短気で不器用な性格が災いし、仕事は長続きしなかった。
79年、ラジオ店廃業後に立ち上げた電化製品の修理会社も、業績好調のさなかに得意先と大げんかし、翌日から受注はゼロ。無職となった勝さんは図書館に通い詰め、独学でオゾン発生器の開発を成功させる。
しかし大企業の猛追とバブル崩壊の影響で、またもや廃業に追い込まれた。その後、飲食店経営にも挑戦するがうまくいかず、借金だけがかさんでいったという。