団地びなを買って
私は去年、団地びなを買った。近年、雛人形はますます豪華精緻になるそうで、私は人形が好きだから、上等なのを買いたいのであるが、部屋がせまいのと懐具合のせいで、ガラスケースに収まったのにした。少女歌劇のフィナーレ場面みたいで、きちんと並んで可愛らしい。
お雛祭りに友達を招(よ)んで遊びなさい、と私は女の子にいった。小学五年と四年である。彼女らはテレビの上の団地びなには目もくれず、チョコレートを頬張り、女だてらにレーシングカーを走らせ、ポーカーをやって、しまいにキックボクシングをやるのだから、私は日本文化の伝統は絶えてしまうのではあるまいかと暗澹たる思いに襲われた。
しかし、女の子はそれでもさすがに現代っ子で、ホステスとして、友達には気を配っていたらしく、お母さんにあうと「楽しかったと帰ってきましたわ」とよろこばれていた。それはそれで雛祭のあたらしい思い出を、子供たちなりに作っているのだろう。
青年にとっての雛祭りは、いやな重苦しいものらしい。
「何ちゅうたかて、入試の時期やさかいな。雛人形みたら、今でもゆううつになるねん」
と、もうすでに大学も出ていっぱしのサラリーマンになった青年が告白していた。
季節感も自然のよろこびも無縁になった今の若い人々に、せめて食べるものだけでも季節折々の思い出をのこしてやりたい。ほうれん草の卵とじ、色どりの美しいちらしずし、はまぐりのお吸いもの、貧しい料理のレパートリーの中から、春らしいものを、と私はこれでも一生けんめい、考えているつもりである。
「すぎにし方恋しきもの、枯れたる葵、ひいな遊びの調度」と清少納言もいう。雛祭りのころのたべもの、と子供たちに思わせてやりたいと私は考えているのである。
※本稿は、『食べるたのしみ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『食べるたのしみ』(著:田辺聖子/中央公論新社)
通いつめた神戸の市場、奄美の豪快な豚料理、夏のスダチ酒、何より大阪のうどん。
作るのも食べるのも大好きな作家・おせいさんの食をめぐるエッセイ。





