秀吉の側室となった信長の娘「三の丸殿」
天正11年(1583)4月、柴田勝家に嫁いでいたお市の方は夫と共に自害。
秀吉に攻囲された勝家の居城・北ノ庄城を脱出した茶々はその後、秀吉の側室となり、鶴松・秀頼を産むことになります。
茶々は信長の姪に当たりますが、秀吉は信長の娘も側室にしていました。
それが「三ノ丸殿」(以下、基本的には三の丸殿と記す)という女性です。
天正11年(1583)4月、柴田勝家に嫁いでいたお市の方は夫と共に自害。
秀吉に攻囲された勝家の居城・北ノ庄城を脱出した茶々はその後、秀吉の側室となり、鶴松・秀頼を産むことになります。
茶々は信長の姪に当たりますが、秀吉は信長の娘も側室にしていました。
それが「三ノ丸殿」(以下、基本的には三の丸殿と記す)という女性です。