凱旋の途上で三の丸殿を連れ帰り…

三の丸殿は信長の5女(もしくは9女)とされます。実名は不明です。

伏見城の三の丸御殿に暮らしたことにより「三ノ丸殿」と呼ばれました。

三の丸殿の母は、織田信忠(信長の嫡男)の乳母・慈徳院とされます。

天正10年(1582)、本能寺の変が起こり、信長が明智光秀に討たれると、三の丸殿は安土城を守備していた蒲生賢秀の居城・近江の日野城に退避したと考えられています。

その翌年、秀吉は柴田勝家を滅亡させますが、凱旋の途上、近江日野の蒲生氏を訪ね、1人の娘を連れ帰りました。

それが三の丸殿とされます。