「《メメントモリ(死を想え)》という言葉があります。死を考えることは、それまでいかによりよく生きるかを考えることにつながるのではないでしょうか。」(残間さん)

生活の中に小さな幸せを見つけて

残間 私は、新型コロナが広まってからは人生のタイムリミットが迫っている感じがして、やたら気持ちが焦ります。何かやり残しているのではないか、と――。

キャシー 私も4年前に皮膚がんの手術をして以来、今できることをやっておかなければ、という気持ちは強くなりました。でもね、私はそんなに焦っていないの。そしてどんな小さなことでも、「今日はこれとこれをちゃんとできた。私は偉い!」と、自分を褒めてあげるんです。それが、笑顔につながると思うので。

残間 私は昔からそれができないの。小児リウマチや心臓弁膜症から始まり、ずっと病気がちの人生。子どもの頃から何度も死にそうになっているので、死そのものは恐れていないんですよ。でも、今のままで最期を迎えるのはまずいと、強迫観念のようにいつも思っている。もっと努力しなきゃ、また易きに流れているのではないかと、自分を追い込んでしまいます。

キャシー そんな! 私はステイホームの間も、キルト作りのおかげでこんなに豊かな時間が持てると思っていたし、プルメリアの蕾が大きくなっていくのを見るだけで楽しい。まだしばらくはこの状態が続くし、その中で小さな幸せを見つけるしかないですもんね。女性はわりと、それが得意なんじゃない? おいしいチョコレートを食べただけでちょっと幸せになったり。

残間 私には、その感覚が欠落していたかもしれません。ちょっとした幸せに出会うと、むしろ「こんなことに喜んではいられない」と、焦る気持ちになってしまう。でもコロナで家にずっといる間、ちょっとだらけてみようかな、という気にはなりました。もっとも、「みようかな」と思わないとできないのですが。それに、少しだらけるとやっぱり自己嫌悪に陥るんですけどね。

キャシー 誰でもいつか終わりが来るし、それがいつかはわからない。でも私は、死を恐れていません。私が逝く時には、きっと七奈美が迎えに来てくれると信じていますから。その日が来るまで、「ママ、さすがだね」と言ってもらえるよう、きちんと生きていきたいのです。

残間 今回のコロナ禍を体験して多くの人が死を身近に感じたと思うし、いろいろなことを考えるきっかけになったと思います。

キャシー 私たちはもうすぐいなくなるけれど、子どもや孫のことを考えると、立ち止まってしっかり考えなくてはいけない。そう突きつけられた気がします。地球環境のことを考えると、人間が自分たちの好き勝手にやってきたことのツケがたまっているのではないか。だから少なくとも私はどう生きようか、改めて考えました。

残間 「メメントモリ(死を想え)」という言葉があります。死を考えることは、それまでいかによりよく生きるかを考えることにつながるのではないでしょうか。