「5年前、内心では怖いと思いつつも一歩を踏み出した自分に、『偉かったね。あのとき勇気を出して正解だったよ』と言ってあげたい。」

「ダメかもしれないけどやってみよう」

『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『エリザベート』『モーツァルト!』。ミュージカルの世界に足を踏み入れて以来、僕はこれらの舞台に出演することを目標にしてきました。すべてを達成したのは29歳の時。その際、次の目標としたのが、「もっと多くの人にミュージカルの楽しさを知ってもらう」ということでした。

当時はまだ、ミュージカル俳優が映像の仕事をする道筋は多くなく、活躍なさっていたのは、大先輩である市村正親さん、鹿賀丈史さん、石丸幹二さんくらい。その下の世代でテレビドラマに出ている人はほとんどいませんでした。そこで僕は、普段であれば2~3年先まで決まっている舞台の仕事を決めずに、現状を変えるべく、映像の世界に挑戦することを決めたのです。

実はその頃、所属していた事務所が倒産するという状況でもあったのですが、落ち込んでいても事態はよくなりません。やっと主演をやらせてもらえるようになったのに、舞台から離れて大丈夫なんだろうかという不安もありましたが、「ピンチはチャンスという言葉もある。ダメかもしれないけどやってみよう」と、前向きに考えることにしたのです。

そんななか決まったのが、『下町ロケット』への出演でした。あの時は本当に嬉しかった。視聴率20%超えの大ヒットとなり、ドラマが注目されたおかげで僕にもテレビ番組のオファーが来るようになりました。そして、ついには念願の音楽番組で歌えることになったのです。

とはいえ、当初歌わせてもらえたのはほんのひとにぎり。関係者の方々と顔を合わせるたびに、「ミュージカル作品での出演は無理ですか?」「ミュージカル界の人たちにも出演の機会をください」とお願いしていたのですが、なかなか実現には至りませんでした。

その後、ディズニー実写映画『美女と野獣』の吹き替えを担当したり、新妻聖子さんや昆夏美さんとデュエットする機会をいただいたりするうちに、状況は少しずつ好転。生田絵梨花さんと舞台衣装で『ミュージックステーション』に出演し、『モーツァルト!』のナンバーを披露した時は、「やっとここまで来た」と大きな手ごたえを感じました。劇中のワンシーンを忠実に再現した演出は、番組史上初だったそうです。