バケモノが現れてちょうど1ヵ月経った頃

翌朝、思い切って彼に「夜中、変わったことはなかった?」と聞いてみた。すると何もないと言う。私は一部始終を話した。「何かあなたに言い含めていた感じだったけれど」と。彼は「へーっ」とどこか他人事で、気にする様子もなかった。

ところが、そのバッタのバケモノが現れてちょうど1ヵ月経った頃。彼は突然、部屋でひどい下血をして倒れた。若い頃十二指腸潰瘍を患ったのは、以前に聞いたことがあったが……。本人は通院もしていたので、安心していたのだ。

私は血をぬぐって止血をし、救急車を呼んだ。手術が成功し、彼の意識が戻ったのが5日後。これから介護の生活が始まるのか、と心細く思っていると、彼は翌朝に亡くなってしまった。

59歳の若さだった。年金をもらえるまでもうすぐだねなんて、笑い話をしていたのに。

今思えば、あのバケモノは、亡くなった彼の兄があの世から迎えにきたのではないか。その兄と私は昔、飲み友達だった。弟があまりに私に迷惑をかけるので、連れにきたのかもしれない。だから、私はあいつに恐怖を感じなかったし、あいつも私に見られて驚かなかったのだろう。

そういえば、彼からこんな話を聞いたことがある。昔、夢に母親が現れて、「あなたは大丈夫だから頑張りなさい。その代わりにお兄さんを連れて行こうね」と言ったらしい。その直後母親は亡くなり、さらに3ヵ月後、兄も後を追うように亡くなった。兄は妻を殴ったり、彼女の給料を取り上げたりと、ひどい夫だったという。

死んだ身内がお迎えにくるということはあるのだろうか。あの夜見たバッタのバケモノは何だったのか、いまだに謎のままだ。


※婦人公論では「読者体験手記」を随時募集しています。

現在募集中のテーマはこちら

アンケート・投稿欄へ