たった一枚のツーショット写真

結局、あの日は溶けかかったアイスクリームを急いで食べてバスに乗り、馬籠の宿場町を散策した。昔ながらの街並みを歩き、土産店を覗きながら、でも私は気もそぞろだった。妹の言ったことが頭から離れなかったからだ。

旅の間、やはり以前の妹とは明らかに違うと感じることがいくつもあった。それなのにどうしてあの時だけ昔の妹に戻ったのだろう。不思議だけれど確かめる術もない。

でも、あの旅が妹との最後の旅になるのは間違いないだろう。妹が「最後の旅はお姉ちゃんと」と言ってくれたことがすべてで、寂しい私の心を慰め癒やしてくれている。この先ずっと、妹のあの言葉は私の胸に残り、支えてくれるに違いない。

今は、国内でも自由に旅行できなくなってしまった。でも妹との旅は二度とないのだと思うと、旅行に行けないことなど、どうでもよいような気もする。

テレビの旅番組も、妹と行った場所が出てくると、切なさが先に立って見ることができない。そして妹と「テレビ、見た? 次はそこへ行こうね」と相談することも、もうないのだ。

わが家のリビングには、妹と私が2人で写った写真が飾ってある。馬籠で外国の旅行者に身振り手振りでお願いして撮ってもらった。妹はやっぱり笑っていないけれど、今まであんなに一緒に旅行したのに、唯一のツーショットだ。掃除していてもテレビを見ていても、写真が目につき、そのたびに思いは妹に向かう。

この時間、何をしているだろう。夫や娘が仕事に出かけた後、留守番で寂しくしていないだろうか。病状は進んでいないだろうか。そう考えると、あの溶けかかったアイスクリームを持ちながら泣くばかりだったバス停の場面が脳裏に蘇り、いつの間にか泣いている自分がいる。

 

<電話口の筆者>

この旅を終えた後、コロナ禍の影響もあり、川奈さんは妹さんと会っていません。現在、妹さんはご家族に支えられ、ご自宅で療養中です。「薬の効果もあり、小康状態を保っている」とのこと。同じ市内に住む甥御さんも母親の様子を見によく立ち寄るそうです。

「なかなか妹に会いに行けない状態が続きもどかしいですが、電話だけは頻繁にしています。こみ入った会話はできなくなっても、私の声を聞くと、『お姉ちゃん』と呼んでくれることにホッとします」と落ち着いた声で話してくれました。

 


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