ジャニー喜多川さんに直談判して
還暦を迎えたいま思うのは、僕って根っこの部分が良くも悪くもまったく変わらないな、ということです。15歳のとき、ジャニー喜多川さんに飛び込みで会いに行き、「歌手になりたいです」と訴えて、むりやりジャニーズ事務所の研修生にしてもらいました。
入所してレッスンを重ねていき、自分の中で「僕はナンバーワンになる」と決めた。根拠はないけど、なぜか自信まんまんだったんです。そのかわり、一度決めたことは、絶対に実現する。そんな行動スタイルをずっと貫いてきました。
いっぽう、環境や生活スタイルは年齢とともに大きく変わっています。血気盛んな10代を経て、人気バブルもあって完全に調子に乗っていた20代、独立して家庭を持った30代。40代は仕事ばかりでなく、家族との楽しい時間もたくさん過ごしました。そして、情報番組のMCに挑戦するなど仕事の幅が広がった50代を経て、60歳に。節目のたび、「こうしたい」と思う道を選び取った結果、いまがあります。
僕の才能を奪うことは誰にもできない
一番大きな転機は1994年、33歳でジャニーズ事務所を退所したことです。事務所を飛び出すというのに、なぜか不安はあまりなくて、とにかく独立したい気持ちが強かった。
芸能界で仕事がしにくくなるんだろうな、と予想はついたけれど、だからといってギブアップする気はなかった。「僕の仕事は、歌って踊ること。僕の才能を奪うことは誰にもできないはずだ」。そう考えて、突き進みました。ほぼ同じタイミングで結婚したことも含めて、後悔はまったくありません。
大きな決断をするときは、基本的に一人で考えます。誰にも相談せず、どうしたいのかをじっくり自分に問いかけて答えを出す。紅白歌合戦の出場を辞退した27歳のときも、そうだった。前年によくわからない理由で落とされたのに、いまさら「出てくれ」と言われてもね(笑)。僕には僕のプライドがあるから、辞退しました。
なんであれ、いったん結論が出たら、絶対にブレません。これも15歳のときから変わっていない。進歩ないねえ、僕(笑)。いろいろ大変なこともあったけれど、その姿勢があったから人生を切り拓いてこられたし、自分の「いま」に納得できるのかもしれません。