僕には3人を支える責任がある
長く生きていればいろいろなことがあります。親とか配偶者とか友人とか、誰でも人生の後半は別ればかりが続く。ガックリくるのは当たり前のことだと思います。でもどんなにつらくても人は生きていかなくてはいけない。
昨年、僕は一人息子を見送りました。食道がんでした。今も息子のことを話しながら、カミさんと二人でクヨクヨすることもあります。ただ彼女はある日を境に、もう泣かないと言っていました。「してやれることは全部やったから」と。
僕にしても、息子の遺した妻と子ども、そしてカミさんの3人を支えていかなければいけない、という責任がある。いつまでも鬱々としていては話にならんだろうと思うようにしています。
世の中、なにが起こるかわからない。コロナがいい例で、誰もがそれを実感したことでしょう。世界中で多くの死者が出ましたが、かといってこの出来事を小説で扱おうとすると、どうもみんなクソ真面目なものにしてしまう。一人くらいふざけた作品を書いたっていいじゃないかと思うのだけれど、茶化すことが難しいらしいですね。ただ文学は自由な世界なんですから、深刻な出来事をユーモアで包み、人の心のガス抜きをするというのも小説家の仕事のうちじゃないのかと僕は思います。
だからまもなく、『コロナ追分』という掌篇を書いてやろうと計画している。「コロナコロナ、コロナ苦いか、しょっぱいか」なんてね(笑)。バッシングされるって? そりゃあ刺激的だなあ。いくつになっても世間の反応は楽しみです。