タリバン政権崩壊から6年後、地方の女子大生のために女子寮を建設。「日本のお母さん」と慕われた(2007年、ジャララバードのナンガルハル大学教育学部女子寮)

タリバンを支持する住民も

タリバンとは「神学生」の意味で、イスラムの教えに基づく「世直し運動」から始まった側面があります。隣国パキスタンにいたアフガン難民の若者たちの運動が起点のひとつとなりました。のちに支配地域を広げ、厳格に解釈したイスラム法を布告。物を盗んだ者は手を切り落とすなどの処罰を行ったのです。

私は、街頭で公開刑を見たことがあります。家族ではない男女が一緒にいたという罪で、ムチ打ち刑に処されていました。男性は激しく打たれ、顔をゆがませていました。でも、青いブルカ姿の女性に対しては、タリバンはそっと叩くだけです。重罪の場合は女性にも容赦しないと聞きましたが、いろいろな人がいるのだな、と感じました。

タリバンは、女性の行動の機会を大きく制限したため、都市部の女性たちは自由に外に出られず、苦しみました。一方で、保守的な部族の影響が根強い農村部では、これまでの生活とあまり変わらないものだったのです。ただ、治安は良くなり、強盗や役人の腐敗が激減したため、タリバンを支持した住民も結構いました。欧米や日本の価値観だけでタリバンをとらえていると実像は見えづらくなると感じます。

それでもできることをやっていきたい

2001年9月、アメリカ同時多発テロが起き、事件を首謀したビンラディンをタリバンがかくまっているとして英米軍はアフガニスタンを攻撃。タリバン政権は崩壊しましたが、多数の民間人が空爆に巻き込まれ、亡くなりました。

その後、さまざまな勢力からなる新政権が成立し、女子学生が学校へ戻ってきました。4年かかって集まった寄付金で、東部のナンガルハル大学に50人が利用できる鉄筋2階建ての女子寮を建てました。

2017年、私自身、高齢になったこともあり、現地での活動にいったん区切りをつけました。しかし今、タリバンが再び政権を取り、心はアフガニスタンに引き戻されています。

大学の女子寮は、閉鎖されてしまいました。アフガニスタン国内の知人たちから届いたメールからは、先行きの見えない状況への不安や、物流が途絶えたことによる食料不足などの厳しい実情が伝わってきます。

女性たちはどうなるのか。復活したタリバン政権が、国をどう統治するのか、まだわかりません。それでも人々のために私にできることをやっていきたいと思っています。