貧困の連鎖

父方の祖父は、父が小学生の時亡くなり、祖母がシングルマザーで4人の子どもを育て上げた。父以外のきょうだいはみな中卒で、全国に散らばり非正規雇用に従事していると聞く。

父は学年で2、3人しかいない、「つぎはぎの服を着た子ども」だったという。

貧困の連鎖とは恐ろしいものだ。

母方の実家は九州の離島にある。母方の祖父は母が中学生の時に脳梗塞で倒れ、それが原因で母もまた貧困生活を余儀なくされたという。

私が生まれた直後に、父方の祖母と母方の祖父がなくなったため、私にはおじいちゃんおばあちゃんの記憶がまったくないのである。

叔母が癌で亡くなった、一型糖尿病を患っていたいとこが、11年間の植物状態を終え亡くなった、そういう訃報で、親戚がいたらしいということを知るのだった。

唯一1、2度会った記憶が薄っすらあった母方の祖母が亡くなったときも、離島まで行く交通費がなく、葬式には行けなかった。

日々の生活で、空腹との戦いも、常に悩みの種だった。

学校からの帰り道では、いつも花の蜜を吸った。つつじはもちろん、名前は分からない赤い花を摘んで、根元を吸うと、甘みが口の中に広がった。

猫じゃらしの茎を噛むと、麦茶の味がした。

他にもふきやつくしなどは煮付けやお吸い物になる。

秋は、空腹を満たしてくれる食材が豊富だった。

シイの実が道にたくさんおちていて、よくフライパンで煎って食べると、淡泊ながらも香ばしく味わいがある。

裏山には栗やあけびがなっており、おやつの定番だった。

あけびは形は那須のようだが、中に白くみずみずしい果肉がつまっており、素朴な甘みがあった。