ヒーローが救ってくれる妄想をしたことも

次は何が起きるんだろう。

またガス代が払えないと父が母に激昂している。

明日という日を越せるだろうか。

そんな、明日の見えない不安、胸がつぶれるような痛み、焦燥感、恐怖感に、いつも心は支配されていた。

逃げようにも逃げられない。逃げる手段も、お金もない。だって、ここは檻だから。

ドラマや映画なら、窮地の時、ヒーローが現れる。私の好きなドラマ『Nのために』では、毒親に翻弄される主人公に、成瀬くんというヒーローが現れ、つらい時も励ましあいながら乗り越えていくのだ。困難もそんな存在がいればなんかエモい物語になる。

頭の中で、母を殴ろうと振り上げた父のこぶしを、後ろからパシっと掴んで止めてくれる人が現れないか、妄想してみたこともある。

ところがどっこい、夜は街灯もなく真っ暗で、人っ子一人いないようなガチの過疎地。ヒーローも出没対象外地域である。

父が駐車場で車を出そうとする母の胸倉を掴み、車体ごと大きく揺らすようなこともあったが、周囲は見て見ぬふりをするのだった。

よく生活保護をなぜ受けなかったのかと聞かれるが、正直子どもだった私にはわからない。

大人になってからさりげなく母に聞くと、どうやら田舎で生活するにおいて必要不可欠な車が差し押さえられるのはないかといった不安などがあったらしい。(生活保護受給者は基本的には車の所有は認められないが、必要不可欠な場合認められる場合もある)もちろん、それ以外にも、きっといろいろな要素があったのだろうが、その全容は見えないままだ。

写真提供◎ヒオカさん

ここまで書いておいて、にわかに信じがたいと思われるかもしれないが、「自分の家がどうやらガチめの貧困家庭だったらしい」と気付いたのは、社会人になってからのこと。

もちろん常に生活は苦しかったが、大学進学の際の奨学金の書類を書くまで、世帯年収は知らなかったし、子持ち世帯の平均年収がいくらとか、生活保護受給水準がどれくらいだとか、考えたこともなかったのである。

というかそんな状態から何故大学にいけたんだ、と思った方もいらっしゃることだろう。

その話はまた次の機会に。

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