「独りよがりになったり、こだわりすぎてはいけない。このときのことは、歌手としての幅が広がる一つの契機ともなりました。」

私と歌がしっかり四つに組めた

これまでを振り返って、ターニングポイントといえば、19歳のときでしょうか。最初にお世話になった事務所をやめ、契約の問題などもあり、1年くらいお休みしなければなりませんでした。生活も心配だし、歌わないことの不安もある。そんなとき、今もお世話になっているレコード会社さんが、「声を出すことを絶やさないように」とボイストレーニングに通わせてくださったのです。

さらに、そのあいだの生活を支えるためにと、音多カラオケ――当時、歌唱を教えるガイドとして、歌を載せた音声多重のカラオケがあり、デビュー前の歌手の方たちが歌を入れていたんですね。その仕事をくださって。こうしたことで本当に助けていただきました。

1年後、新しい事務所から再出発。「愛染かつらをもう一度」という歌を出すことになったのですが、柔らかな感じのその歌に最初は馴染めなかった。私にとって演歌とは、北島三郎さんが歌い上げる力強い世界が理想だったのです。それで、詞を書いてくださった星野哲郎先生に、恐れ多くも直談判に行きました。

すると先生はおっしゃった。「おまえがどんな歌が好きか、どんな歌を歌ったら持ち味を生かせるか、全部わかっている。その俺が、今、この歌を歌えと言っているんだ」。それで仕方なく受け入れたのですが、数ヵ月後、その曲がこう、ピタッときたというか、私と歌がしっかり四つに組めて、自分のものになった感じがしたんですね。

実際、30万枚のヒットとなり、たくさんの方に歌っていただけるようにもなりました。独りよがりになったり、こだわりすぎてはいけない。このときのことは、歌手としての幅が広がる一つの契機ともなりました。