「コロナを題材にすることは不謹慎ではないか――そういう葛藤が自分の中にありました」(撮影◎長屋和茂)

 

未来から見たコロナ禍は

小説の発売前にコロナに罹っていたら、そんな経験も活かすことができたかもしれない。でもそれって捉えようによっては本当に、不謹慎な考え方ですよね。

コロナでたくさんの人が亡くなっているし、世界中の人々の生活が一変してしまった。
そんな感染症を題材にすることは不謹慎ではないか――そういう葛藤が自分の中にありました。

僕が小説を書くにあたって意識したのは、自分の感情や意見は入れないこと。読んだ人の感情を動かす話もなるべく書きたくなかった。

コロナについて書くということが決まった時、医療従事者の心温まる話を取材して書くとか、そういう意見もあったんですが、それは僕の芸風でもないし、感動的なドラマチックな話を書くのはしっくりこなかった。

もちろん、僕がこうして小説を書くことができたのも、今こうして余裕を持ってコロナに罹った話ができているのも、医療従事者の方々が一生懸命、投げ出さずにやってくれているからだと思っています。

それは本当にありがたいことです。でも、医療に関することを書いてしまうと、自分の思いや意見が強く出てしまう…。

また、僕は脚本家として、嘘で人々の感情を動かすという仕事をしていますが、コロナでそれをやりたくないとも思っていました。

なぜなら、コロナはまだ収まっていないし、発生から2年経った今でもわかっていないことがたくさんある。