母はあまりにも大物であり、敵わない

しかし母は〈箱入り娘〉だったぶん、今年10月で91歳になりますが、少女のような部分が多くあります。かわいらしいモノが大好きで、手紙にシールを貼ってくることも。留守電の声は、いつもハイトーンの〈ぶりっこ〉的な発声で、歌い上げるように自分が言いたいことだけをスラスラと話し、ブツッと電話を切ります。

いつも注意しているのです。話し終えて、一拍か二拍おいてから電話を切りなさいよ…と。でもまったく直りません。

その調子で、「あなたしか頼る人がいないのよ」「お母さんは、この土地を売れば億万長者なのよ。手持ちのお金がないだけで」と、そんなことも歌い上げ調で電話をしてきます。

私の仕事のことも何もわかっていないのです。たとえば出演していた番組が終了してしまうと、「最近、観られないからさみしいわ。どうして終わっちゃったの?」などと、わざわざ留守電に入れてくる。ですから私はたいてい〈居留守番電話〉で、「もしもし~、お母さんです」というハイトーンが聴こえると、よほどの緊急事態でない限り、そのままメッセージを聴くだけで電話をとりません。

そんな母と私はいま、ある家族のことで団結せざるをえない状況となりました。その経過で気づいたのは、鈍感ゆえの強さが母にはあるということ。間もなく91歳になろうというのに、まだまだ、のんびり構える…という発想があることです。いやいや、あなた、もう10年も20年も生きないでしょ? いまは幸いにも呆けていないけれど、そんなの、いつ、どうなるかわからないじゃない……。

言いたい気持ちをこらえ、何もかも正反対である母のそうした性格を少し面白がれるようになった私がいます。いま、私と母が置かれている状況を考えると、まったくあたふたせず、見様によってはドーンと構えている母はあまりにも大物であり、正直、敵いません。

こんな気持ちで母と対峙するのは生まれて初めてのこと。この先、もしかしたら関係が好転するのでしょうか。もう少し観察を続けようと思います。

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