博子 忘れもしない四畳と六畳の二間のアパートで。床が腐っていたから歩いただけでタンスが傾く。曲に合わせて踊るとタンスも踊って危ないから、ママったら「ピンク・レディーは禁止。振りがないアグネス・チャンはよか」って。(笑)
玉枝 もう「よかよか」ってね(笑)。娘たちはみんな歌が好きで明るくて、それが救いだった。
博子 歌手になりたいという私を全力で応援してくれたママも、私が17歳でデビューが決まったときは、「東京に行くのをやめてほしい」って泣いて。
玉枝 そうそう、心配で別れるのがつらくなってしまってね。
博子 ママの前向きな言葉には、いつも助けられてきたよ。私は4歳から歌手に「なる」と信じていたけど、オーディションを受けては落ちまくって。デビューしたあとも堀越学園時代に仕事がなくて、泣いて電話をかけたことがあったでしょう。
そうしたら、ママは「あなたの帰る場所はないよ。3年はがんばりなさい!」と。卒業間近に事務所からリストラ宣告されたときも、「寝る前になりたい自分を思い描いてから1日を終えなさい」と。
必死にその通りにがんばったら、その直後バラドルとしてレギュラー12本と忙しくなり、歌の仕事もできるようになって。願いが現実になったの。
玉枝 気丈なことを言ったけど、私もベランダに出て涙することもあったのよ。でも、いつか笑う日が来ると毎日念じていた。娘にはいつも先を見るビジョンを持ちなさいと言っています。