小田原城。神奈川県小田原市(写真提供:Photo AC)

松本潤さん演じる徳川家康が天下統一を成し遂げるまでの道のりを、古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第37回では秀吉(ムロツヨシさん)と側室・茶々(北川景子さん)の間に長子・鶴松が誕生し、跡継ぎの誕生に勢いづく秀吉は北条攻めを決定。和平を主張する家康だが、秀吉は先陣を命じ――といった話が展開します。

一方、静岡大学名誉教授の本多隆成さんが、徳川家康の運命を左右した「決断」に迫るのが本連載。今回は「北条氏の滅亡」についてです。

沼田領裁定

豊臣政権側では、北条氏規が上洛したことにより、北条氏が「関東惣無事」政策を受け入れ臣従したものとみなし、領国境目の確定に着手した。

この豊臣氏による領土裁定の焦点は、真田・北条両氏間の係争地である上野国(こうずけのくに)沼田領(吾妻領を含む)問題であり、これに対する豊臣政権による国分裁定は、つぎのような内容であった。

(1)真田氏が押さえている沼田領の三分二は、沼田城とともに北条氏に与える。

(2)残る三分一は、その中にある城も含めて真田氏に安堵する。

(3)北条氏に下された三分二に相当する替地は、家康から真田氏に補償する。

北条氏はこの三分二裁定に不服であったが、翌天正十七年(一五八九)六月に当主氏直はこれを受け入れ、十二月上旬には氏政が上洛すると約した。

こうして豊臣政権による沼田領裁定は執行される運びとなり、七月に上使として富田一白(知信)・津田盛月が沼田へ派遣され、家康も榊原康政を派遣して実務に当たらせ、二十一日に沼田城は北条方に引き渡された。

これを受け取った北条氏邦は、沼田城に家臣の猪俣邦憲を入れた。またこの措置に合わせて、家康は真田氏に替地として、伊那郡箕輪領(長野県箕輪町)を与えた。