介護を通じてまた新たなスタートを
リハビリには、札幌の北東、美唄(びばい)市にある北海道せき損センターの環境がベストだということで、子どもたちがそこに移る段取りを進めてくれた。
ただ、ここでひとつの壁があった。北海道せき損センターが私を受け入れるには、心臓の状態に不安が残るので、ペースメーカーを埋める必要が生まれたのだ。
そこで、7月に大野病院に戻りペースメーカー手術を受けた。不整脈を患い、心臓手術歴は人一倍豊富な私だが、ペースメーカーを埋めることには抵抗があった。自分の身体のなかに機械を入れるというのは想像ができなかった。
しかし、いざ手術を受けてみると、なんだか、我が心臓が普通の自転車から電動アシスト自転車になったような気分になった。ものは考えようなのだ。
8月に北海道せき損センターでのリハビリに励んだ私は、9月にはNTT病院に移り、日常生活に戻るためのリハビリを強化し、11月には仕事に復帰した。といっても、病院から外に出たのではない。オンラインで講演をしたのだ。
2020年は、リモートワーク、テレワークが推奨された年である。便利な世の中になったもので、会社に行かなくても自宅で仕事ができるようなったらしい。
頸髄硬膜外血腫で倒れてから5か月。私は文明の進化により入院中に講演することができた。仕事復帰できたことは大きな自信となった。
その後はNTT病院から有料老人ホーム らくら宮の森(以下:「らくら」)に移り、12月には連日のようにリハビリを重ねた。これは社会復帰に向けての一時的な手段であり、終の棲家として老人ホームを選んだのではなかった。
そのとき、私は5段階ある要介護度のうち、上から2番めに重い《要介護4》に認定された。
だが、介護を受けることにまったく抵抗はなかった。むしろ、ありがたく思った。
自分の能力や行動範囲がどんどん小さくなってしまったが、介護を通じてまた新たなスタートをきることができる。要介護の状態とは、「なにかをやってみよう」という希望につながるものだと考えたのだ。
※本稿は、『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)の一部を再編集したものです。
『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)
1960年代から90年代は、エベレストや富士山直滑降、世界7大陸最高峰からのスキー直滑降など、前人未踏の記録達成。2000年代は、70歳を過ぎてからの三度のエベレスト登頂や、86歳での南米最高峰の山・アコンカグアへの登頂挑戦。冒険家、三浦雄一郎さん(90歳)は、人生の各ステージで、そのときの自分にできる最大限の闘いを続けてきました。その稀代の冒険家が、「要介護4」の状況からのリハビリ生活のなかでめざす“次の冒険のステージ”とは?障がいを持つ身体であろうと、他者のサポートを得ながら臨む “新たな冒険”。人は、何歳になっても、あるいはどんな障がいを持っていても、「挑戦」することができる!