普通であることを大事にしていた
20年秋から、僕は前に勤めていた香料会社に復職しました。いまは週末に倶楽部に通う、という二足のわらじ生活です。家族と全国から働きにきているスタッフが、父の遺した雑木林と倶楽部をいつまでもお客様に愛でてもらえるよう、日々の仕事をしっかり担ってくれています。
長く倶楽部を続けていきたい。父が亡くなったいま、その決意表明としてなにができるだろうか、考えました。建築物をはじめ、形あるものは年月とともに姿を変えていきます。最も変わらないもの、変化に耐えて残っていく自然のもの――それは石であり、いまの倶楽部の決意の象徴としてぴったりだと思いました。
春になると、雑木林にはカタクリが薄紫の花を咲かせます。兄が苦労して根づかせたもので、「カタクリじゃない、カタクリ様と呼べ」などと言っていたものです。そのカタクリが咲く一画に、父の直筆をプレートにしてつけた石碑を置こうと考えました。7月30日、31日に開く予定のお別れ会でお披露目できるよう、準備を進めているところです。
父が八ヶ岳を愛したのは、ここにいれば「普通」の人でいられたからではないか、とも思います。
芸能界は特殊な世界ですから、いつも同じような人に囲まれているうちに、王様然としてしまうこともあるでしょう。
でもお店には毎日違う人がやってきて、地元の人であっても、若いスタッフであっても、父を訪ねてくる芸能界の人であっても、みんなが対等におしゃべりできる。
僕はずっと「柳生博の息子」であることから逃げようとしていたけれど、父こそ「普通」であることを大事にしていた人なのだ、といまになればわかります。
この連休も、父が亡くなったことでいつもより人出が多くなると心配したスタッフのOBやOGが、全国から駆け付けてくれました。ありがたく感じるとともに、父と倶楽部がスタッフから愛されていることを嬉しく思います。
石碑を置く場所からは、倶楽部全体がきれいに眺められるでしょう。いま僕が感じているように、父はこれからもこの地にいる。そして変わらぬ笑顔で、八ヶ岳の自然と僕たちを見守り続けてくれると思うのです。