『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を描いたNHK大河ドラマ『光る君へ』の放送が、今年1月から開始しました。「源氏物語にはたくさんの謎があり、作者の紫式部にも、ずいぶんと謎めいたところがある。彼女にも彼女なりの『言い分』があったにちがいない」と話すのは、日本文藝家協会理事の岳真也さん。紫式部の実態に迫る岳さんいわく「紫式部は幼い時分に祖母と母を失い、頼りにしていた姉とも死に別れた」そうで――。
亡き母と姉への思慕
何かを失うことへの不安と落胆は、思春期のだれもが経験する繊細な感情です。紫式部は他に増して鋭敏な感覚で、そんな自分の心のあり様(よう)を、とらえていたのかもしれません。
紫式部は二、三歳のころに母親を亡くし、その3年後に祖母を亡くしていますが、母との思い出は、ほとんどなかったようです。
紫式部の母親は藤原為信(ためのぶ)の娘と伝えられますが、どのような人であったかという記録はありません。為時と結婚し、三人の子を産んだのち、この世を去ってしまったのです。
紫式部は次女であり、末っ子。兄(惟規)と姉がいたことになります。
なお、紫式部の本名は「香子(かおるこ)」と推察されていますが、確証はありません。
天皇家の近親者など、よほどのトップ階級は別として、女性の名は公(おおやけ)には使われず、父や夫の役職名にちなんだ名称で通していたようです。
母の死後、父・為時は再婚しておらず、家族は父と兄と姉だけで、「父子家庭」ということになります。
身のまわりの世話をする女房(侍女)などはいたでしょうが、あくまでも他人ですから、紫式部は、「母親の無償の愛を受けることなく、育った」ことになります。
母とは何か。母の子にそそぐ優しい眼差しとは、どういうものか……紫式部はきっと、想像のなかで、憶えのない母への思慕をつのらせていったのではないでしょうか。