大人の音楽を聴いて育った、子ども時代
昨年10月からこの3月まで、NHKの朝ドラ『スカーレット』に、芸術家のジョージ富士川役で出演していました。作品の舞台になっていたのは、僕の出身地である滋賀県。放送以降、地元に戻るたびに年配の方から「ドラマ見てたよ!」と声をかけられるようになりました。朝ドラの影響力ってすごいですね!
いまでこそ僕はエンタテインメントの世界で仕事をさせていただいていますが、育ったのは芸能とは無縁の公務員一家でした。役所で働いていた父、歯科衛生士の母、警察官だった祖父。教職に就いている親戚も多い。子どもの頃は、共働きの両親の帰りを待つため、妹たちと祖父母の家に行っていました。親が迎えに来てくれるまで、祖父母や叔父たちと過ごすのです。
叔父といっても皆まだ20代で、当時流行っていたフォーク、ロック、ニューミュージックを一緒に聴いていました。村下孝蔵さんを初めて聴いたのもこの頃です。かなりませた小学生ですよね。(笑)
子ども心に「大人に相手をしてもらうには、彼らが喜ぶことを言わなきゃいけないんだな」と感じていたので、常に自分なりにアンテナを張り、場の空気を読んでいました。僕のトークを面白いと言ってくださる方もいますが、もしかしたら、子ども時代の経験が役に立っているのかも。
いっぽうで、学校での人づき合いはあまりうまくいかなくて。大人といる時間が長かったせいで、どうしても子どもの社会が幼く見えてしまうんです。はみ出さないよう懸命に気をつけていたものの、なんとなく浮いてしまう。自分とクラスメートとの間に、いつも薄いフィルターがあるような居心地の悪さを感じていました。
状況が変わったのは、中学生になって同級生とバンドを組み、歌い始めてから。自分を認めてもらう手段を得たことで徐々に引っ込み思案な性格が変わり、高校に入った頃には「学校をやめて音楽で身を立てたい」と考えるようになっていました。
当然ですが、大学に進んで安定した職業に就くことを望んでいた両親は大反対です。もう、ひと悶着どころじゃなかったですよ! 何しろ田舎ですからね。親きょうだいはもちろん親戚まで巻き込んで、「貴教がおかしくなった!」「音楽で食べていけるわけがない」と大騒ぎになりました。
僕が頑として譲らなかったため、大阪の音楽専門学校に通ってバンド活動をすることで落ち着きましたが、親たちは「はしかみたいなもので、いずれ熱が冷めて真っ当な道に進むはず」と渋々受け入れていたと思います。当然援助なんてしてもらえません。バイトを掛け持ちして、自力で学費を払いました。