和服で女装(自宅にて)
編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。第10回は、思ってみなかったことのもう一つ「女装にハマった」お話です。

第9回●「〈高齢者バンド〉のススメ。サックスのおかげで人生が変わった」

何でぼくはここにいるんだろう

過去を振り返ってみると、思ってもみなかったことが結構あります。

前回書いたサックスのこともそうで、その場の雰囲気でテナーサックスを買ってしまうまでは、自分がステージでサックスを吹くなんて思ったことがありませんでした。

ぼくは今、オリジナル歌謡曲を演奏するペーソスというバンドでサックスを吹いているのですが、ぼくが9年前に正式加入して少し経った頃、ある人の誘いで、ペーソスはボーイズバラエティ協会という演芸家団体に加盟しました。ペーソスの演奏が演芸だとはそれまで思ったこともなかったのですが、落語家さんの独演会の前座を頼まれることもあったので、演芸と全く縁がなかったわけでもありません。

そのボーイズバラエティ協会の特別興行で、新宿末廣亭や国立演芸場に出ることがありました。新宿末廣亭は明治30年創業の由緒ある寄席で、昔のことですが、ボーイズ芸(楽器を使った音楽演芸)の元祖、あきれたぼういずの坊屋三郎さんのウォッシュボード演奏を、末廣亭で観たことがあります。まさか同じ舞台に、ボーイズ芸の一員として自分が立つとは、全く思ってもみなかったことです。末廣亭の舞台に出た時、何でぼくはここにいるんだろうと不思議な気持ちになりました。

末廣亭だけでなく、国立演芸場に出たことも、銀杏BOYZの前座で武道館に出たことも、みんな思ってもみなかったことです。ペーソスに入って、思ってもみなかったことが他にもたくさん経験出来たし、こうして原稿にも書けるし、入って良かったと思っています(ペーソスは今も寄席にも出ていますが、ぼくはボーイズバラエティ協会を脱退したので、寄席に出ることは出来ません。脱退の理由はペーソスに年間100本以上のライブが入るようになり、原稿が書けなくなくなったからです)。