ダイアナ妃の事故死での対応とは――
2022年9月8日、イギリス王室は女王エリザベス2世が死去したと発表した。享年96。スコットランドのバルモラル城で静養中だった。2021年には夫のフィリップ殿下を見送っている。1952年、父の急逝を受け25歳で即位。1997年にチャールズ皇太子の元妻ダイアナ妃が事故死した際、女王の対応に批判の声もあがったが、それに対して声明を発表した当時を振り返る。

ダイアナ妃の事故死

1997年8月31日の午前1時少し前。バルモラル城の電話がけたたましく鳴り響いた。フランス駐在のイギリス大使からの電話であった。いったいこんな時間になにがあったのか。

前年に皇太子と離婚したダイアナが、恋人で大富豪の御曹司ドディ・アルファイドとパリで自動車事故に遭い、意識不明の重態だというのである。電話を受け取った女王副秘書官はすぐさま女王と皇太子に事情を説明したが、その直後にダイアナとドディの死を知らせる第一報が飛び込んできた。

8月31日はちょうど日曜日だった。女王にとって、ダイアナはもはや「王室の正規のメンバー」ではなかった。それどころか、離婚後もたびたびマスメディアに登場しては王室を蔑ろにしている彼女に、正直不愉快な感情を抱いていた。この日の日曜礼拝もバルモラルで普段どおりに済ませ、いつもの日曜の生活を送っていた女王であった。

ところがイングランド北東部のダーラムで、家族とともに日曜礼拝を済ませてマスメディアからのインタビューに答えていたトニー・ブレア首相は違っていた。

この年の5月の総選挙で18年ぶりに労働党に大勝利をもたらし、43歳という20世紀では最年少で首相に就任していたブレアは、「彼女は人々から愛された民衆の皇太子妃(プリンセス)だった」と述べ、ダイアナに深い哀悼の意を表したのである。