誰だって帰る場所が欲しい

一時的に友人と同居していたことがある。外でどうしようもなく苦しい、自分が否定されたと感じることがあって、未来が見えなくなるように感じるとき、帰る場所があって、そこであったこと、感じたことを話せば楽になった。その事実だけで、生きていける。そう思った。

先輩に美味しいご飯に連れていってもらったら、こんな美味しいものを同居する友人にも食べさせたいと思った。独り暮らしだと、いかに時短で安くお腹を満たせるかだけを考えた、エサのような食事になるが、同居人がいると料理に手間を加えたくなった。

誰かと一緒に食べるご飯は、いつもより味がする気がした。部屋を片付けられない私が、最低限は保つ努力をした。友人が結婚して同居は解消になり、部屋は荒れに荒れた。ご飯はエサに戻った。

今、頻繁に会う親友は、今日会わない?とどちらかが言えば、集まって晩御飯を食べる仲だ。その親友とはもう12年の付き合いになる。その間、もちろん人間同士だからいろんな事があり、お互いの未熟さに葛藤したり、きつい言葉をぶつけてしまったこともあった。

それでも、忍耐すること、許容すること、自分の機嫌を悪くしないよう努力することを教わった。苦楽を分かち合い、生きてきた。その存在は、内と外で言うなら、もう外ではなくなっている。退院したとき、迎えにきてくれたのも親友だった。そんな親友は結婚・出産願望が前からかなり強く、アプリで婚活を頑張っている。

親友も、いずれ、帰る場所ができて、いままでのようにはいられなくなるかもしれない。ライフステージが変われば、関係をそっくりそのまま維持するのは難しい。誰だって帰る場所が欲しい。親友がいいパートナーに出会い、家庭を築けるよう心から祈るのと同時に、まだ来ていない未来を想像して、また全身打撲のような痛みが襲ってくる。

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