「関白は天皇の補佐役である」という理解は正確ではない
官宣旨の文末には必ず以下のような文言が記されます。
「A宣す、勅をうけたまわるに『なになに』てえれば、だれだれ宜しく承知し、宣によりてこれを行え」。
Aは上卿です(たとえば大納言藤原朝臣公任、とか)。勅は天皇の意思を意味する言葉で、ごく簡潔に示される。「なになに」がその中身(たとえば「請いによれ」とか「誰々に意見を聞け」とか)。だれだれ、はこの一件の当事者(たとえば東大寺、とか)もしくは管轄機関(たとえば信濃国、とか式部省とか)。
さて、ここまで読んでみて
「あれ? 藤原氏のトップたちが就任を熱望してきた“関白”はどこに?」
そんな疑問が生じたかもしれません。
先ほど、「勅」というのは天皇の意思を指し示す言葉だ、と申しました。ところが、関白が置かれて政務に携わるとき、「勅」は天皇ではなく、関白の判断なのです。
この点から指摘できることは、「関白は天皇の補佐役である」という理解は正確ではない、ということ。
天皇の大権を「関り白す、あずかりもうす」関白とは、実は天皇の代理として天皇の仕事を丸ごと担う、第二の天皇。これ以上なく大変な重職だったのです。
『「失敗」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)
出版業界で続く「日本史」ブーム。書籍も数多く刊行され、今や書店の一角を占めるまでに。そのブームのきっかけの一つが、東京大学史料編纂所・本郷和人先生が手掛けた著書の数々なのは間違いない。今回その本郷先生が「日本史×失敗」をテーマにした新刊を刊行! 元寇の原因は完全に鎌倉幕府側にあった? 生涯のライバル謙信、信玄共に跡取り問題でしくじったのはなぜ? 光秀重用は信長の失敗だったと言える? あの時、氏康が秀吉に頭を下げられていたならば? 日本史を彩る英雄たちの「失敗」を検証しつつ、そこからの学び、もしくは「もし成功していたら」という“if"を展開。失敗の中にこそ、豊かな"学び"はある!