「香港映画のオーディションがあるんだけど、受けてみないか?」
香港映画界との縁ができたのは1970年。大学を出て2年が過ぎ、日本のドラマや映画でちょい役をやっていた時期でした。演技の研修所に籍を置いてはいましたがサボってばかりでしたし、役者の仕事も食べていくにはほど遠い。もうやめようかなと思っていた時に「香港映画のオーディションがあるんだけど、受けてみないか?」と言われたのです。
もともと僕には、卒業後は海外で仕事をしたいという夢がありました。役者じゃなく裏方でも、正直、日本を出られれば何でも良かったのです。なので声をかけてもらったのは本当に幸運でした。
オーディションの場所は帝国ホテルのティールーム。そこにショウ・ブラザーズという香港の大手映画会社の社長が来ていました。オーディションと言っても挨拶をして、「そこに立って。はい、どうも。じゃあ監督と相談して連絡します」くらいのものです。
一瞬で終わったので「これはダメだろうな」と思っていた2ヵ月後、「選ばれたみたいだよ。撮影は2週間で終わるらしいから行ってみれば?」と言われて。あれよあれよと言う間に、香港に飛ぶことになったのです。
現地では、まず1日でラッシュを撮影。それを見て評価してくれたのか、その場で年間契約が決まりました。
とはいえ僕としては2週間の予定で来ていたため、何の準備もしていません。そこで「生活費として月々**円くらいもらえますか?」と尋ねたところ、「それはうちのトップスターのギャラだよ」と断られて。がっかりしていたら、監督が「俺がもう1本出資している会社があるから、昼間はショウ・ブラザーズの作品に出て、夜はそっちに出なよ」と勧めてくれたのです。
そこからはもう「この監督にすべてを任そう!」と決め、昼夜寝る間もないアクション三昧の日々に突入していきました。