歌の神様は私を見捨てた
歌手になると決めてからは一人上京して古賀先生のレッスンを受け、デビュー曲「ウソツキ鴎」はヒットしました。でも、そこから15年間は鳴かず飛ばず。新曲が出るたびに全国の商店街にあるレコード店でキャンペーンをして、レコードを手売りしていたのです。
歌を聴いてくださっていた人たちが立ち去ったあとに、配った歌詞カードが地面に捨てられていて、毎回それを1枚ずつ拾い集めていました。あれは悲しかった。
両親と2人の姉が上京して一緒に暮らすようになったのは、15歳のときでした。私がデビューした年に新潟地震が発生し、復興のため大手スーパーなどが参入してきたので、家業の精肉店を続けることができなくなってしまったのです。
私はお金を稼ぐために、年齢を上にごまかしてナイトクラブやキャバレーで歌うようになります。店長さんから「ジャズ歌える?」と聞かれれば「歌えます!」と即答し、当日までに英語の歌を耳コピで覚えるの。歌えませんなんて言ったら仕事がなくなってしまうので、とにかく必死でした。
一方で、今度こそはと意気込んで出す新曲はいっこうに売れない。そんな時期が続き、歌の神様は私を見捨てたのだと思うようになったのです。