友達とはどのような存在か

令和5年度に小中学校で行われた全国学力・学習状況調査の結果を分析すると、友達との関係性が幸福に影響力を持っていることがわかりました。当たり前だろうと思われるかもしれませんが、大規模な調査でしっかりとこうした結果を示していくことは大切です。

実際友達がいれば学校にいくのが楽しくなるでしょうし、また、子どもたちに限らず友達関係が私たちの生活を豊かにしてくれることは確かです。しかし信頼関係のない友人グループや集団への所属は、私たちを息苦しくもさせます。

(写真提供:Photo AC)

そもそも友達とはどのような存在なのでしょうか。私は数年前に「友達って何だろう」という素朴な疑問がテーマになったテレビ番組の取材を受けました。特に大人になってから「自分には友達と呼べる人がいるのだろうか」と悩む人が多いという事実をどう考えればよいのかという質問にこたえる必要がありました。

そういう質問を受けてからよくよく考えてみると、アメリカにいると、仕事仲間に対してColleague(同僚)という言い方をしますが、日本の同僚のニュアンスよりはもう少し仲間感がありますし、さらに職場の同僚の中でも特に親しい人については「良い友達でもある」と表現したりするなと思い当たりました。

しかし日本ではあくまで職場という「場」が重要であり、その「場」のルールに従えば、どれだけ親しくても社員同士は「同僚」「同期」「上司・先輩」「部下・後輩」という役割で表現され、気が合う上司や部下に対しても「友達」と表現するケースは少ないのではと思います。友達というのはフラットな、それこそ学校時代のクラスメートなどの狭い関係でのみ成立する、限定された使われ方をしているようです。それが友達という言葉が持つニュアンスの息苦しさや難しさにもつながっているかもしれません。