「友達」の定義

私たちの研究チームがコクヨと共同で行った日本、アメリカ、イギリス、台湾の比較では、他の三国と比べて日本の就業者は「社内に友達がいない」という回答が高くなっていました。近所の親しい人に対しても「ご近所さん」とは言いますが「友達」とはやはり言わない。

他方、子どもを通じた関係については「ママ友」などの用語が正式カテゴリーとして認められているようで、「幼稚園の保護者仲間」などと言ったりしません。とはいえ、「ママ友」が友達かと言えば、この特別な名称が示すように、純粋な友達とはまた違っているようです。親しさとは無関係に使用するケースもあるなど、実際には「保護者会で知り合った同僚」に近いカテゴリーです。

日本語あるいは日本の文化的コンテクストでは、大人になって学校というカテゴリーを離れた時に、いくら心を許して語り合う仲間がいたとしても「友達」とは表現せず、結果的に「私に友達はいるのだろうか」と自問するわけです。本来的にはたとえば「腹を割って話し合える」など、機能に基づいて友達を定義すればよいのではと思うのですが、日本のような「場」が強い社会では機能ではなく、役割・文脈によって定義されています。

以上のような考察をもとに、先の取材に対して、私は友達と呼んでいない人も実は友達の機能を持つ相手と考えればよい、という趣旨の話をしました。

※本稿は、『日本人の幸せ-ウェルビーイングの国際比較』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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