住民たちの努力によって守られてきた竹富島の風景
気候や風景は天与のものかもしれないが、それをどのように生活に組み込み、人の暮らしをなじませながら、人が訪れて快適、と感じる場所にすることができるか、というのは、その場所に住む人たちの働きによるものだ。
そもそもこの沖縄の原風景と呼ばれる竹富島の風景は、竹富島住民たちの絶え間ない努力によって守られてきたものだ。
沖縄タイムス紙は、それは「1972年5月15日の日本復帰をきっかけに高まった人々の思いで守られた。
リゾート開発などを見越して本土資本による土地の買い占めの波が押し寄せたが、住民たちが抵抗。『土地を守ることは伝統文化を守ることにつながる』。
島ぐるみの反対運動を展開し、土地を買い戻していった」と報じる。
1971年5月17日の同紙は、4本の大見出しと共に地域面トップで、その様子を伝え、「どんなことがあっても、観光業者に土地を売るな」との住民側の声や、世論に勝てず本土業者が土地を手放すことに同意したことを報じている。
