竹富島の人々の島への思いと、伝統への思い
八重山の島で白い砂に赤瓦の家の町並みの残るところは竹富だけではなかったが、島全体で町並み保存、ということについては、他の島では合意ができなかったようだ。
それはそうだろう。家族の構成が変われば、リフォームもしたくなるだろう。
台風対策に、コンクリートの家を建てたい、と沖縄県内ではごく普通に考えられる発想に至ることもあるだろう。
現在住んでいる伝統家屋は、ずっと自分が住み続けるわけではない。いつか次世代に譲る日が来る。
その時に、自分の家を継ぐ人も伝統家屋に住みたいと思うだろうか。現代的な住宅に作り替えられてこそ、島に戻ってくる、と言うかもしれない。
伝統家屋の修復や新築は、一般家屋よりよほどお金もかかる。さらに、町並み保存、ということになると、お金の問題だけでなく、自分の家なのに、集落から役場まで幾重にも及ぶビューロクラシーを経て許可をもらわなければ自分の住む家の変更ができない。
それにもかかわらず、町並み保存に合意できた、というだけで、竹富島の人々の島への思いと、伝統への思い入れと、何が本来大切にされるべきか、という指針が、高度経済成長にともなう乱開発の世の中の流れの中で、明確にされていた、ということがわかる。驚くべきことだ。