義父は合理の人だった
結婚を決めるとき妻候補が「父に会ってほしいわ」と言う。父の目利きを期待しているらしい。本人の意志とはべつに、こんなときに信頼して頼れる父を持つ娘を私は、
――幸せだな――
と思った。そして、その父に会うため訪問するとき、ご挨拶になにを持参したらよいものか、と考えた。最中(もなか)やクッキーが役立つケースではない。
そして私が持っていったのは……なんと自分が数年前に患った肺結核について権威ある結核予防会が認定する治癒証明書だった。求められたわけではない。逆の立場だったら、これが一番手みやげとしてほしかったろう。後年の義父は黙って受け取ったが、さらに後年「あれはよかったな」と笑っていた。私が結果として目利きに(多分)合格したらしいのは一枚の紙のせいだったかもしれない。
義父は合理の人であり、文学とは無縁の人であったが、私が直木賞を受けたときには受賞作の一つ「ナポレオン狂」だけは眼を通したらしく、その冒頭の数行“狂気と正常とは、ある明確な一線を境にしてキッカリと左右に峻別されるものではあるまい。もちろん大部分の人間は完全に正常であり、またひとめで狂気とわかる人間もいる。だが、その境界線あたりに位置する人というのも当然存在するはずである。正常と見なされていながら狂気の傾向を色濃く内蔵している人や、あるいはその反対に奇態な言動を示しながらもその実けっして病的とは言えない人格も私たちの周辺に生きて生活していることだろう”について、
「まともに見えても妙なのがいるから困るんだ」と呟いていた。世間にはさまざまな人がいる。税金は正しく納めるのが合理であり、おかしな使い方などどうぞしないでください、と老爺があらためて思っているのです。
※本稿は、『90歳、男のひとり暮らし』(新潮社)の一部を再編集したものです。
『90歳、男のひとり暮らし』(著:阿刀田高/新潮社)
突然始まった単身生活。
モットーは「“まあまあ”でいいじゃないか」。
簡素に食事を調え、落語は読んで鑑賞、旧知の場所を訪ね、亡き人の思い出に親しみ、眠れぬ夜は百人一首を数える――迫りくる老いを受け止めながら日々を軽やかに過ごすコツを伝授し、人生の豊かさを再認識させてくれる滋味絶佳の老境エッセイ。




