特権を盾に

まだ人々がこの話をしていた頃、アメリカ人が彼らを「サタニスト(悪魔崇拝者)」と評する文章に幾度となく出合った。キリスト教徒にとっての悪魔は、人の弱さや欲望につけ込み、教義に背く罪を犯すようそそのかす。権力や欲望のために、他者を搾取する。

荒唐無稽な陰謀論もあったが、それを除いても、超富裕層が究極的な悪として捉えられているのがわかる。富と権力にモノを言わせ、組織的に未成年者を性的加害していた疑いがあるのだから、当然と言えば当然だ。

まとまりのないファイルを眺めながら、私は思った。権力と富を持ち尽くした人間は、特権を盾にタブーを破壊し、罪から逃れ、最終的には他者の命や尊厳を搾取することでしか欲望を満たせなくなるのではないか。禁忌そのものが報酬になるのではないかと。私程度でも思いつくのだから、おそらく犯罪学、心理学、社会学、哲学などの分野において、権力と人間の本質についてすでに多くの研究がなされているはずだ。

権力と富が飽和しても、支配欲は底なし沼なのだろうか。ならば、「権力はやがて腐敗する」なんていう生易しい話ではない。人が人でなくなるプロセスこそが、権力の掌握ではないか。権力者を数年単位で交代させなければ危機的状況に陥ることは自明だ。

現実には、ごく一部の人間が、国家予算を凌駕するほどの富を独占している。富すなわち権力で、権力者はルールを勝手に変え、自分たちだけの治外法権を作る。日本でも、似た構造を頻繁に目にする。格差が大きな時代は過去にもあったろうが、現代のそれは国境を簡単に越えると、エプスタイン・ファイルが雄弁に示している。国ではなく、地球規模の話なのだ。

この恐ろしいゲームをどうにかしてひっくり返すことは、私たちにできるのだろうか。

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